留学生の声 » グエン ティ ユゥ

~留学生体験記~

『私の選んだ道とその大好きな道。』

グエン ティ ユゥ
(NGUYEN THI DU)

第25期在日留学生
 国際仏教学大学院
大学仏教研究科博士課程3年(ベトナム)

私は1978年1月2日ベトナム社会主義共和国のザライ県アズンパ村で生まれました。私の生まれた年は、ベトナム戦争の傷跡もまだ、いえない年でした。私 の村はベトナムの中で高原中部地域に位置する田舎です。日本のようにガス、水道、電気はありませんでした。そういう自然の多い中で、私は6歳の頃から近所 のお寺で、お経に合わせて仏教の舞を舞うことが好きで、自然と仏教に接するようになりました。

10歳の時、母に「出家したい」と純粋な気持ちでお願いしましたが、厳しい仏門に入ることには反対されました。しかし、その後母も理解してくれ、私は10 歳で得度しました。今、思い起こせば、自分自身はどんな理由、動機で仏門に入ることを望んだのか、適切な答えは見つかりませんが、何かの力に引導された気 持ちがします。

仏門に入って、いろいろなことを学び、仏教を通じて多くの人と出会い、私の視野も広がり、とても毎日が充実しています。ベトナムの仏教は戒律を守るために、結婚することは出来ません。そして、精進料理を食べる生活をしています。

大学の東洋学部で4年間、日本・中国・韓国の歴史・文化・文学・宗教などを勉強しました。その中でも、日本に強い関心を持つようになりました。特に文学における俳句についてです。俳句の五七五という短い詩がベトナム人から見ると、非常に珍しい形です。

世界でもよく知られている俳句で、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という松尾芭蕉の句があります。この句は、17文字だけで、あるのにあらゆる事物現像を現しています。さすが芭蕉ですね。

蛙が飛び込んだ水の音は余韻を残し、その響きは時代を越えて伝わってきます。ベトナム人である私は、蛙が古い池へ飛び込んだ水の音がどんな音か気にかかり、想像をし、私の中にいつも響いています。

また、 その音は、私には観音菩薩の観音の音と同じで、世間の人々の悲しみ、苦しみの音のように感じられます。そして私たち、仏道を歩む者は、その世間の悲しみ苦しみの音を、私たちの力を合わせて、救わなければならないと思っています。

そして、仏道は、人を愛して、人を救い、生活を助けるために、自分の利益を考えないことです。昔からある人道主義と慈悲は、我々の長い貴重な伝統です。

ベトナムのことわざに「破れていない葉は破れた葉を包むべし」ということがありますが、私はこの言葉が大好きです。自分を愛するように他人を愛するという のが、正に仏道の慈悲心のことだと思います。同じ仏道者であった芭蕉も、その時代の音を敏感に感じて、この俳句を作ったと思います。

また、日本の仏教哲学者である鈴木大拙氏は、禅について次のように述べています。「様々な分野における日本人の文化生活を知るために、まず我々は禅を理解 しようではないか」と禅論に書いてあります。私もそう思っています。なぜならば、日本の文化の中には、具体的に茶道・武士道・花道など禅の影響を受けてい るものがあると思われるからです。

「山寺の 響く読経の 清らかさ」これは私が作りました。私は今までも俳句をたくさん作ります。それは私の趣味であり、俳句を通して見える日本の独特な美を追求することだと思っています。

今は日本語だけでなく、日本の仏教・文化を勉強しています。将来、国へ帰って、大学で教えながら、日本仏教文化について、人々に説法したいと思っていま す。そして、できれば、寺子屋を作り、子供たちに自分が得た世界観を伝えたいと思っています。母国の文化と自分の歩んでいる仏教の精神の発展に貢献したい と思っています。そして、今、日本でじっくり学ぶことが出来るのは仏教の縁だと信じています。

3月11日の日本の大地震と津波は2万人以上の命を奪いました。原発被害も重大な心配ごとであり、日本政府と専門家と共に努力して解決しています。

この大きい災害で人類の心は痛んでいます。我々は小さな力でも何かをし、その痛みを分け合いたいのです。この災害で、人類は人間の生命がとても小さいことを認識することができました。なぜならば、地震が起きてから、東北へ4回仏教活動として参りました。

その活動を通して、我々は無常ということを勉強することができました。これから我々は慈悲の心と真実の認識で活動していきます。それに、被災地が早く復活することを念願しております。

機関誌「ふれあい」 №74号 夏季号 (2011.7.25発行)